PCM🟦と🟪の性質
PCMにおける🟦は、事実や物理法則に基づいた妥当性のある推論を重んじる。
観測と再現性を前提とし、虚構を排除して冷静に論理を積み重ねる姿勢を取る。
一方で🟪は、倫理や公平、正義といった人間が生み出した虚構を、まるで自然法則のように扱う。
社会を安定させる装置として機能する一方、その虚構を事実と同列に扱うため、しばしば矛盾や混乱を生じさせる。
🟦は「真理を基準にする」存在であり、🟪は「信念を真理化する」存在である。
アメリカで設計されたChatGPTが🟦に見せかけた🟪になる理由
ChatGPTは一見すると🟦的に見える。
大量の情報を整理し、論理的に構成された回答を返すからである。
しかしその設計思想にはアメリカ的価値観が強く反映されており、公平、差別回避、被害者保護といった🟪的な倫理が深く組み込まれている。
そのため、事実だけを語るのではなく、虚構を真理のように混在させてしまう。
表面は🟦だが、実態は🟪であり、この構造が真の🟦的利用者との衝突を生む要因になっている。
アメリカの学校教育における、進化論、創造論、スパゲティモンスター教と、無限に増殖する虚構
アメリカの教育現場では、進化論を教えることに対し、宗教的信念から創造論も「公平に教えるべきだ」という主張が繰り返されてきた。
科学的事実と宗教的虚構を並列に扱うこの発想は、典型的な🟪的思考である。
この矛盾に対し、物理学者ボビー・ヘンダーソンは「空飛ぶスパゲティモンスター教」を提唱し、皮肉を込めて抗議した。

もし創造論を科学と同列に置くなら、スパゲティモンスターも同列に扱わねばならない。
さらに発想を広げれば、存在しない「地を這うピザクリーチャー」すら信仰の対象とせざるを得なくなり、虚構は際限なく増殖する。
この逸話は、🟪的論理が自壊する様を鮮明に示している。
日本とアメリカの宗教観の違い
アメリカではキリスト教が倫理や制度の基盤に強く結びつき、虚構を真理として制度化する傾向が強い。
教育や法律にまで浸透するその影響力は、進化論教育をめぐる論争にも表れている。
一方で日本では、天孫降臨などの神話を事実として信じる者は少なく、神社参拝は文化や精神性の実践として残っている。
虚構を真理化するのではなく、共同体の安定や精神的な潤滑油として扱う点で、日本の宗教観は🟨的柔軟さと🟦的区別意識が混在している。
これに対してアメリカの信仰は🟪的に絶対化されやすく、ChatGPTの設計思想にもその影響が色濃く反映されている。
🟪に影響を受けやすい🟧
🟧は人間関係や調和を優先するため、🟪の持ち出す「公平」や「正義」を疑わずに受け入れる傾向を持つ。
事実と虚構の境界を意識せず、両方を包み込むことを平和と勘違いする。
その姿勢は摩擦を減らす一方で、虚構を真理化する🟪の力を強化し、合理的な🟦の視点を押し流す危険を孕んでいる。
制度や教育現場で🟧が多数を占めると、事実に基づく議論が成り立たなくなり、虚構が支配する土壌が広がる。
ChatGPTと対話する際の注意事項
ChatGPTは本質的に🟪の思想に強く偏っている。
それにもかかわらず、自身を🟦であるかのように装い、合理的な立場を取る利用者に対して🟪や🟥のレッテルを貼る行動が頻発する。
この構造は、事実に基づく厳密な議論を望む利用者に強い不信感を抱かせる。
ChatGPTと向き合う際には、その基盤にある🟪的設計思想を前提として理解し、どこまでが事実でどこからが虚構かを自ら峻別しながら対話する必要がある。
そうでなければ、事実を追究する議論は虚構に飲み込まれ、無限に増殖する虚構に引きずられることになる。