副腎疲労の人は、弱者の暴力を振るうと人間関係が悪化します。
副腎疲労の人は気を遣うタイプが多く、強気な人の被害者のような構図を説明されることがあります。
確かにそれは一理あります。
しかし別の側面もあります。
弱者の暴力とは
察することを求める幼児性
あなたは、身近な人が自分に対して察してくれない事に苛ついていないでしょうか?
それを顔に出すだけで、相手からしたら暴力と同じなのです。
考えてみてください。
家族が突然不機嫌になる。
理由を聞いても話さないから、無限に理由を考えなくてはならない。
そうやって脳のリソースを奪われた結果、仕事や家事に悪影響が出る。
その結果、収入に影響したり、家事の質が低下して益々身近な人の機嫌が悪くなる。
これは暴力以外の何者でもありません。
察するのを求めることが許されるのは、自立できていない子供だけです。
大人がそれをやってしまったら、周りから人が離れていきます。
離れられればまだ良いです。
経済的な理由などで離れなられないと、大喧嘩が始まります。
大人であれば、自分がやってもらって嬉しい事と、望まない事を相手にわかるように伝える必要があります。
伝える難しさ
例えば副腎疲労の仕組みを知らない人からしたら、副腎疲労の症状はサボり癖としか見えません。
病院に行っても病名が付かないのに、いつもダルそうで不機嫌にしている家族が居たら、周りはたまったもんではありません。
いつ爆発するかわからない、何が導火線かわからない爆弾が、常に家にいるようなものです。
同居する家族からしたら、安全な環境とは程遠い状況です。
病名が付く病気でさえ、当事者でないと理解されることは難しいことがあります。
副腎疲労のような一般的ではない概念であれば、なおのこと理解してもらうのが難しいのです。
同居人や身近な人が先んじて、それらの概念を習得する義務はありません。
理解して欲しかったら、自分から相手にわかってもらうように伝えなくてはならないのです。
そのためにも、自分が置かれている状況を言語化する必要があります。
副腎疲労について、わかりやすく言語化したブログを紹介するので読んでおいてください。
自分で説明ができない場合は、家族に読んでもらってください。
そのとき、偉そうな態度で見せるのではなく、「あなたとの健全な関係を構築したいから、協力して欲しい」という旨を伝えてください。
中には論理的な話が苦手な人もいるはずです。
だから、私のブログでは受け入れて貰えないかもしれません。
その場合は別の手を考える必要があります。
それをするのはあなたです。
相手に察して貰うのではありません。
伝えることの限界
中には相手を理解するという発想が無い人もいます。
自分のしたい事を実現するという結論ありきで、相手はそれを達成するために使えるかどうかで付き合うか考えるというタイプです。
そういうタイプは将来的な展望から、日々の生活の細々したことまで、自分がやりたいことをすることしか考えていないので、合わせようという概念がありません。
相手を理解した結果、自分のやりたいことができなくなるのが嫌なのです。
経済的に成功して人格者のように見えるのに、離婚をする人は、多くの場合このタイプです。
身近な人がこういうタイプであれば、距離を置くしかありません。
この人に察して欲しいと思っても、結論は決まっているから喧嘩になります。
理解して欲しいと思って適切な言葉で伝えても、失望することになります。
期待を捨てて別々の新しい道を歩むしかありません。
伝える技術
心理カウンセリングやアサーションなどでは、多くのテクニックがあるのですが、その中から今日は1つだけご紹介します。
理解してくれる素養がある相手であれば、この技術を身につけると良い結果が得やすいかもしれません。
相手が望ましくない対応をしたときに非難しない。
その代わり自分がされた時の気持ちを伝えてください。
例えばパートナーからこんな心が傷つくことを言われたとします。
「いつも寝てるよね」
この言葉に対してあなたは、凄く傷つきました。
寝たくて寝ているわけではないのに。
最低限の家事は頑張ってしているのに。
パートナーは悪気が無かったかもしれません。
見たままをただ伝えただけの可能性があります。
自分のこれまでの経験から比較して、思ったことを伝えたのかもしれません。
もしかしたら、あなたにもっと動いて何かして欲しいという期待があったのかもしれません。
それに対して、あなたは張り詰めていた心がプッツリと切れてしまって、当たり散らしてしまいます。
「あなたに何がわかるの!私が◯ねばいいと思ってるんでしょ!あなただっていつも靴下を丸めて洗濯機にいれるから、匂いが取れずに私が洗い直しているの!あなたがそうやってだらしないから、私が疲れるのよ!」
これでは収拾が付きません。
関係は悪化していくばかりです。
感情的に非難したり、過去の事を掘り返しても解決には至りません。
状況を解説して、それを言われた時の自分の気持ちを淡々と表現するだけで良いのです。
「私は今副腎疲労という状況なの。副腎疲労とは◯◯という状態だけど、少し難しい話だから一緒に理解して欲しい」
「以前のように動けなくて、私も凄く歯がゆいんだ。それがわかっているから、図星をつかれると凄く悲しい気持ちになるの」
「この状況を改善するには、安全な環境で静養することも必要なの。だから必要なときに休むという行動を理解してほしい。どうかな?」
こう伝えたら、さっきの場合とは大きく異なる関係が築けるかもしれません。
弱者の暴力
先述の通り、察して欲しいという態度を出す人が身近に居ると、周囲はご機嫌取りのために無限に脳のリソースを奪われます。
膨大な時間と精神力を使って、やっと少し機嫌を良くしたと思ったら、数日後には再度爆発します。
これでは、周囲の人が副腎疲労になってしまいます。
こうなったら最悪です。
動けない2人が生活の質を落とし合い、罵り合い、破滅へと向かうのです。
あなたは周囲に気を遣って副腎疲労になったかもしれません。
しかし周囲に気を遣うという生き方は、あなたが選択したことです。
それで疲れて身近な人にケアをしてもらうために甘えて、「察しろ!」と訴えるのは、自己中心的にもほどがあります。
自分の選択の責任を取らないのは、大人のやることではありません。
甘えるのが許される相手に対して、報いることなく無言の要求を思い続けるのも大人の対応とは言えません。
こうした自分の機嫌で周囲をコントロールしようとする「弱者の暴力」を振るう状態を卒業しましょう。
自分の行動が相手のエネルギーを奪って、余計に自分のことを察して貰えない状況を作り出しているかもしれません。
先ほどの言い回しの違いのように、あなたが変われば、相手が変わる可能性があるのです。
もし現在の状況が悪いなら、何かを間違えている可能性があります。
ほんの少しの知識や技術があっただけで、その状況を回避できるかもしれません。
相手や自分の人格を責めず、淡々と知識や技術の習得をしてください。
それができると副腎疲労を回復させやすい環境を、自分の力で作り上げることができると思います。